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対の関係>

【聖と俗、関心と無関心】

奈落が世俗の欲望や邪心で汚れているのに対し、何も望まず、何も拒まぬ白夜は、ある意味で「無私の境地」に達している。この対比は、いわゆる「聖俗」の問題でもある。

野盗鬼蜘蛛をつなぎに数多の妖怪が集まって生まれた奈落を「泥」で例えるならば、人智を超越した、四魂の玉ありきの存在である白夜は、さながら「蓮」といったところだろう。

物語の登場人物を、四魂の玉を頂点とした縦構造で考えると、四魂の玉のすぐ下、二番目(或いは四魂の玉と同等)が「白夜」、最下層が文字通り「奈落」に当たる。犬夜叉界で、「最も格差が大きいカップリング」と言えよう。

奈落と白夜の関係性は、奈落が白夜に脆い自己像を投影していた(つもりの)一方的な関係性だ。奈落は他の分身たちとは明らかに違う対応をしている。白夜を徹底的に「戦わせない」のだ。これには「自分の眼」を確保するという目的以上のものが感じられる。少なくとも神楽や赤子以上には「信用」していたらしい。

しかし肝心の白夜は、犬夜叉や殺生丸たちと全く同じ態度で奈落に接している。彼を神楽のように怨むことも、赤子のように見下すこともない。かといって四面楚歌の状況に同情することもない。「敵」であるはずの犬夜叉や殺生丸を敵視することもない。白夜にとって、奈落は、憎悪や憐憫の情をもつに値する「特別な存在」ではない。ここで、双方の認識のズレ(温度差)が生じている。奈落は白夜に関心を寄せているが、白夜は一貫して奈落に無関心である。

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