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<白夜の心>

「夢幻の白夜」という人物像を分からなくしている原因は、主に三つある。

一つ目が、誰と接しても全く態度が変わらない点だ。この所為で、白夜が犬夜叉たちにとって敵だか、奈落にとって味方だか、はっきりしなくなっている。

白夜は誰に対しても、馴れ馴れしく接する。「悪役」としては、人懐っこ過ぎるぐらいに。だが、同時に限りなくドライでもある。それは生みの親である奈落に対しても、例外ではない。犬夜叉や殺生丸を特別敵視することもないが、奈落に同情することも、死に瀕している琥珀や神無の境遇に憐れむこともない。

二つ目が、一切の物事に執着しない点だ。「犬夜叉」の物語は、四魂の玉を中心に様々なキャラクターの愛憎やエゴ、もっと言えば「執着」が複雑に絡み合って成立している。犬夜叉への執着があったからこそ、桔梗はかごめに生まれ変わり、自由に執着していたからこそ、神楽は奈落を裏切った。「犬夜叉」の登場人物たちは、様々な「執着」によって形作られており、それらが彼らを突き動かしている。当然、その「執着」を簡単には手放せないから、「生への執着」も同時に発生する。

だが白夜には、何かに執着した描写やエピソードが一切ない。

 

三つ目が、「死の恐怖」が一切ない点だ。生前徳の高かった白心上人や、これといった欲望を抱かず、“人形のように”奈落に仕えてきた神無ですら、逃れられなかった「死」への恐れ。もし、彼の最期のセリフが「負け惜しみ」だというのなら、尚更彼の「執着」に関するエピソードは、描かれていなければならない。なのにそれがないということは、彼には、生き物にとって最も原初的で、最も切実な欲望である「生存欲求」すら有していないということになる。

個人的な私見だが、「愛」とは「偏り」のことであろう。何の「偏り」かというと、「興味・関心の偏り」のことである。典型的なのが、55巻で「弥勒を救うためにりんを殺す」という決断を下した「珊瑚」の例だ。珊瑚も別にりんが嫌いなわけではない。犬夜叉や弟の琥珀同様に「守るべき存在」だと「普段は」見なしている。だが、究極の選択を迫られたとき、りんは弥勒には「及ばない」。ただそれだけのことである。

相手に「関心」があるから、「愛憎」が生まれる。ではその逆は?その「偏り」がなく、「誰とでも平等に接する」ということは、即ち「無関心」ではないだろうか。

白夜の「飄々とした態度」は、「無関心」の裏返しである。「博愛」がしばしば「薄愛」とも言い換えられるように、白夜は本質的な「アパシー」を抱えている。

無視、無反応だけが無関心の表し方ではない。例えば、「無の分身」たる神無の言動は「限りなく無反応に近い」が、「無関心」ではなかった。それは、吹き行く風に妹の神楽を思い浮かべたり、神楽の扇子を湖に水葬したりするシーンで窺える(48巻、49巻、完結編10話、11話)。

 

48-7 120

風の音「ゴオッ」

神無(風…神楽…?)

 

犬夜叉完結編10話 

01:54-02:15 神無が神楽の扇子を拾う

神無「神楽…風になれた…?自由を手に入れた…?私は…私には…私には何も無い…」

 

09:46-09:58 神楽の扇子を湖に水葬する

神無(さよなら…神楽…)

 

21:20-21:54 鏡の妖が摘み取ってくれた花をしばし眺めた後、短歌を詠み、握りつぶす

神無「花…花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに…」

 

犬夜叉完結編11話

18:10-18:26 かごめの「自由」という言葉で、神楽の姿がフラッシュバックする

かごめ「どうしたの神無?あなたはもう自由なのよ。」

神無(自由…?)

神無の回想の中の神楽「」(恐らく「自由」という言葉を呟いている?)

神無「神楽…」

 

「死者を弔う」という行為は、人間を人間たらしめた原初的な行為の一つに「葬送儀礼」があることを考え合わせれば、神無の行為は既に「人間的」と言うほかにない。神無には、きちんと人間らしい心が存在したのだ。彼女の体現する「無」とは、言い換えれば「外に発するものが限りなく“無”に等しい」という意味に過ぎない。

しかし、白夜は違う。白夜はあらゆる物事(自分の命すらも例外ではない)に全くの「無関心」だ。全てに無関心だから、奈落を裏切る動機も発生しない。当然奈落にも無関心だから、彼を嫌悪することはないが、同情もしない。彼と共同体にされたことを、恨むこともない。「無関心」だから、全てに「他人事」でいられる。無関心だったからこそ、彼だけは、最期まで奈落に忠実たりえたのである。

英語で考えると分かりやすい。「difference」の和訳は「違い、差」なのだが、これの反義語が 「indifference」。「difference」に否定を意味する「in」が付いた単語だ。これの和訳は「無関心」。ある対象への「興味・関心」が他の物事と良くも悪くも「差が生じている」から、「関心」が出る。つまり、「差異がないこと」は、「無関心」なのである。

他の作品の例を挙げるならば、白夜は、「魔法少女まどか☆マギカ」「キュゥべえ」や、「かぐや姫の物語」「天人(月の住人)」にメンタリティーが似ている。

彼らに共通するのは、感情をもたず、共感能力が欠如している点だ。彼らは、「仕組み」としての「人間の感情」は「理解」出来ても、「共感」は出来ない。例えば相手が辛い表情をしている時、相手が「辛い思いをしているのだ」ということは「理解」出来ても、かといって自分も辛い感情を持つことはない。

最終決戦でも分かる通り、白夜は人間の感情を「理解」はしている。弥勒を救いたいという珊瑚の感情を「利用」して、りんを殺すように誘導していたからだ。しかし、そこに至るまでの彼女の葛藤や苦しみを想像することは出来ない。

そして白夜を除き、唯一あらゆるものに対して無差別な存在がある。「四魂の玉」だ。四魂の玉は持ち主を選ばず、所有者の欲望を“本当の望み以外は”無差別に叶える。白夜が四魂の玉の要請で誕生したキャラクターであることを考え合わせれば、白夜の人格に四魂の玉の性質がそのまま引き継がれていてもおかしくはない。

白夜の飄々とした言動は、一般的な人間の「性格」と呼ぶより、「四魂の玉の性質」と称するほうが正しいのであろう。

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