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<まとめ>

 

白夜は「透明人間」みたいなものだ。固有の臭い(匂い)を持たないので、「肉体的」に個人を識別できない。彼自身が一切に無関心で誰とも交わらないから、「精神的」にもどのような人物か分からず、誰の印象にも残らない。「名前」という点に関しても、犬夜叉の世界に存在しないものに由来するので、「存在しない」ことと同義として扱われる。「物語の進行上」は、彼がいてもいなくても、さして変わらない。彼の存在が誰かに影響を与えることはなく、その死を喜ぶ者も、悲しむ者もいない。人畜無害。無用の長物。昼行灯。

白夜は、誰にも理解(共感の方が適切か)されない。誰にも相手にされない。歯牙にもかけられない。倒す価値すらないと考えられている。それが顕著なシーンがある。

 

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白夜「おまえらも入るのかい?入った途端喰われるかもしれないのに…」

弥勒「ヒュー(風穴の音)」

白夜「おっと!おれを風穴で吸う気か?」

弥勒「安心しろ。おまえなんぞ吸ったところで…」

白夜「……」

 

最終決戦において奈落の体内に飛び込むシーンで、この扱いである。風穴の呪いを解くため、打倒奈落を掲げる弥勒にとって、白夜がいかに「軽い」存在かが窺える。もちろん、犬夜叉にとってもである。

その代わり白夜自身も、誰にも共感しない。誰とも関係を築かない。だから、誰からにも存在を軽んじられることに、怒りを感じることもない。「誰にもその存在を認められない」、「自らが生きていた証を残せない」、「いかなるものにも関心を持たない」…常人にはとても耐えられない。このような状況に置かれてもなお平然として、未練も残さず退場していく。白夜は、「犬夜叉」で「最も人間らしさを欠いたキャラクター」なのである。他者と関係を築かず、唯々諾々と命令を遵守し、傍観に徹する姿は、ロボットやアンドロイドに通ずるものがある。

白夜はよく「奈落を裏切ることに諦めている」だとか、「物事を諦観している」などと言われるが、それは違うだろう。彼は何も諦めてなどいない。全てに無関心なので、「諦めるものすらない」というのが、事実であろう。

白夜はこの手の創作物にありがちな、「自己主張をする場はあったが、他に濃いキャラクターがいて、結果的に影が薄くなってしまったキャラクター」ではない。「キャラを立てることすら放棄したキャラクター」なのだ。これはキャラクター作りをする上では、極めて異例かつ、掟破りなことだ。作者は普通、どのキャラクターも(主役、脇役の差はあれど)必ず個性が立つように、作るものである。しかし高橋氏は、白夜のキャラクターを、敢えて全く立たせなかった。これによって「アイデンティティーを持たないことがアイデンティティー」というキャラクターをつくったのだ。

私がまだ幼い頃は、好きなキャラクターにもかかわらず、全くと言っていいほど活躍しないので、それを不満に思ったものだった。しかし、今は違う。このキャラクターの場合、どんな些細な絡みでも、蛇足になってしまう。まして正反対の考えを持つ神楽とは、最も接点を持ってはいけないのだ。だから、神楽と入れ替わる形で、登場するしかなかった。読者がこんなことを言うのもおかしいのかもしれないが、今では「描かないでくれたこと」に感謝している。高橋氏の手腕の片鱗が窺える瞬間に、今、まさに立ち会っているのだ。

白夜を読み解くことは奈落を読み解くことであり、白夜を理解することは、四魂の玉との関係性、ひいてはこの犬夜叉の世界全体を理解することでもある。かつて美術史学の碩学、アビー・ウォーバーグは「神々は細部に宿る」と言った。ともすれば見落とすような些細なディテールのなかにこそ、注目すべき物語世界の鍵が隠されているのだ。そのひとつの例証として、白夜は、屹立しているように思われる。

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